7/23/2014

祇園祭 Part 2

7月22日(火)、祇園祭の後(あと)祭りの見物に行ってきました。

Part 1で書いたとおり、1864年の「蛤御門の変」で焼失した大船鉾が150年ぶりに復興したのを機に、17日の「前(さき)祭り」と24日の「後祭り」という古式通りの形での祭も復活となりました。

前祭りは大きな鉾が多く、露店も並んで賑やかな感じですが、この後祭りは露店の出店が禁止されていて、本当に「伝統的な」祭りの形式に戻した感じです。
建てられる山鉾は全部で10基。長刀鉾や菊水鉾、月鉾などよく知られた鉾はもうありません。17日の前祭りの巡行が終わればその日のうちに解体されてしまいます。祇園祭自体は31日まで続いていて、後祭りに出る10基の山鉾にもそれぞれのいわれがあり、見るべき点はありますが、絢爛豪華な鉾を期待しても17日以降は見られない、もう手遅れという意味で「あとのまつり」という言葉ができたと言われています。

150年ぶりに復興の大船鉾
とは言っても、やはり150年ぶりに復興された新しい鉾があるということで、かなり人出はありました。大船鉾は、前祭りに出た船鉾と同じで船の形をしていますが、サイズが一回り大きい感じです。全体像がカメラに収まり切りませんでした。
安産の守り神であり、腹帯が人気

復興はしても、これで完成というわけではなく、装飾品などはまだこれからも長い年月をかけて少しずつそろえていくそうです。
後祭りの鉾はこの大船鉾だけで、あとは全部山です。山といっても、鉾と違わないくらいの規模があるのが、南観音山と北観音山です。


こちら黒主(くろぬし)山といい、珍しく桜が飾られています。

橋弁慶山は、五条大橋での牛若丸と弁慶の出会いを描いたもの。止まっている時の山は、木の枠組みに布がかけられているだけです。ご神体やお飾りは、山鉾町の飾り席でお披露目されています。これは通りからよく見える町屋の2階に飾られています。巡行ではこれらを一式載せて動くわけです。
橋弁慶山の本体
飾り席にある橋弁慶山のお飾り
祇園祭は別名「屏風祭り」ともいい、山鉾町にある呉服商などが代々受け継いでいる屏風や掛け軸などを通りから見える場所に出して、みんなに見てもらう習わしがあります。露店が立ってしまうと町屋の前がふさがってしまうこともありますが、後祭りは露店がでないので、山鉾見物以外にもそうした民間文化財を見る機会にもなります。

また、建つ山鉾が10基、歩いて2時間以内で全部見て回れる範囲にあることから、スタンプラリーという趣向もありました。残念ながら私は今回は参加しませんでしたが、10個のスタンプを集めると限定手ぬぐいがもらえたらしい。来年もあればチャレンジしたいと思います。

あまり知られていませんが、祭りなので、17日と24日の巡行の後には御神輿もでます。17日は八坂神社から四条通りの御旅所へ来る神幸祭、24日は反対に八坂神社へ帰る還幸祭で3つの神輿が各町内を練り歩きます。

また、祇園祭の山鉾巡行には女性は参加できないのですが、24日の「花傘(はなかさ)巡行」には京都の花街の舞妓さんや芸妓さんも加わり、山鉾巡行とはまた違った行列を楽しむこともできます。

車いすの人もたっくさん見物にいらしてました。さすがに、宵山の夜は無理ですが(いっても何も見えない、鉾にも近づけない)、昼間なら、周辺のオフィスの冷房の余り風を時折感じつつ、耐えられなくなったら営業中のデパートに駆け込んでほっと一息もつけますのでおすすめ。確かに暑いですが、暑くないと祇園祭でないのも事実で……

みなさんもチャンスがあれば是非お運びください。私でよろしければご案内致しますです。



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7/17/2014

祇園祭 Part 1

7月15日(火)、京都・祇園祭を見てきました。
祇園祭というと、17日に行われる「山鉾(やまほこ)巡行」のイメージをお持ちの方が多いと思いますが、実際には7月1日~31日まで続くお祭りで、ほぼ毎日のように何かの神事が行われます。山鉾巡行もそうした神事のひとつで、「動く美術館」といわれる山鉾が京都の中心部を移動していく(八坂神社に向かって参拝し、元の位置に戻る)非常に華やかな行事です。

山や鉾はとても大きいものなので、巡行の前、7月11日くらいから各鉾町で組み立てが始まり、17日の午前中に巡行が終わるとすぐに解体されてしまいます。

巡行当日は、山鉾が動く姿は見られますが、近くによって美しい装飾を見ることはできないため、私は毎年、宵々山や宵山(15日か16日)の日中に各町内を回って鉾見物をします。

山鉾巡行では、各山鉾が事前にくじ引きをして巡行の順番を決めます(昔は順番を争ってもめ事が起こったそうです)が、なかに「くじとらず」といい、毎年同じ順番で参加する山鉾がいくつかあります。「長刀(なぎなた)鉾」はそのくじとらずのひとつで、必ず先頭を行く決まり。長刀で災厄を切り裂く、という意味です。



四条通りに立つ長刀鉾
鉾は平均して10トンを超える重量があり、てっぺんまでの高さはビルの7~8階くらいです。長刀鉾がある場所は市内のメインストリートの1つですが、その他は多くが一方通行の路地に建てられています。私が好きなのは「菊水鉾」ですが、これも両側に呉服の卸問屋などが並ぶ狭い道路にあります。
菊水鉾  周りには露天が並ぶ

数ある鉾の中にはユニークな形をしたものも。これは、文字通り船の形をした「船鉾(ふねほこ)」です。
 
 
こうして止まっている山鉾の装飾ももちろん美しいのですが、これは真の姿ではありません。巡行当日はそれぞれの山鉾にご神体が載せられ、さらに巡行当日にしかつけない前掛け・見返り(後ろの飾り)といった絢爛豪華なお飾りがあり、それらは山鉾町で別に披露されています。「ウナギの寝床」と言われる、間口が狭く奥に細長い伝統的家屋の奥の方で公開されていて、山鉾そのもののほかに、各町内がもっている屏風なども一緒に展示されています。
霰天神山のご神体がこの奥に…
各山鉾は厄除け粽というものを授けてくれます。この粽(中に餅は入っておらず、飾るためのもの)を買うと、鉾の上に上げてくれます。残念ながら車いすでは無理ですが…どっちみち、長刀鉾だけは現在も女人禁制で上がることはできません。山鉾はそれぞれ言われやご神体が違うので、粽の御利益も違います。私はベタに長刀鉾の粽を買いますが、学問成就、安産、恋愛成就など、色々あります。
どこの粽にも「我は蘇民将来の子孫なり」と書いたお札がついています。旅をしていたスサノオノミコトが蘇民将来という男の家に泊めてもらったとき、この蘇民将来が貧しいにもかかわらず手厚いもてなしをしたことへの感謝として、この男の子孫を一切の災いからずっと守ってやるという約束をし、証拠として「茅の輪」を家の前に掲げよ、と言ったことが起源だそうです。で、今も自宅の玄関先に厄除けとしてつけます。
我が家の玄関に付けた厄除け粽
15日の京都の最高気温は34度。暑さ対策もあり、いろいろなところでうちわが無料で配られています。特に地元ラジオ局が配るものは毎年違うデザインで、もらえると嬉しい♪
宵々山、宵山の夕方には関西地方のテレビ局が必ずどこかの鉾の前から中継をします。私が行ったときも、読売テレビ(日テレ系)の夕方のニュースでお天気コーナーを担当しているお兄さんの気象予報士がいました。たまたま通りがかったときに、一緒に行ったヘルパーさんが「ほら、あの人、テレビ出てはる人」と言うのでキョロキョロしていたら目が合って、「あっ! ○○さん!!」と思わず…そしたら近寄ってきてくれて握手してくれました(誰のことか、わかる人にはわかる話、ですね)。

山鉾は全部で33基あり、鉾が10基、その他は山です。車輪がついたものを鉾といい、担ぐものを山という、と聞いたことがありますが、山の中にも車輪があり鉾と違わないくらい大きいものもあります。去年までは合計32基(鉾9基)でしたが、今年は「大船(おおふね)鉾」が復興されて1つ増えました。
巡行は元々、2回に分かれた形が正式でしたが、市内の交通規制の問題など色々あって、昭和40年からは17日の1回にまとめられ、32基の山鉾がその日に合わせて一斉に建てられてきましたが、今年からは大船鉾の復興を機に、巡行も17日の「前の祭り」と24日の「後の祭り」にわけて行われることとなり、建てられる山鉾も先の祭りで23基、後の祭りで10基となりました。

つまり2回楽しめることに。ということで、来週は大船鉾を見に、また出かけてみる予定です。


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